1.少年時代
自己紹介
私は1979年生まれのいわゆる氷河期世代。
簡単に経歴をご紹介すると、
バブル絶頂期の少年時代、不登校、受験戦争、ひきこもり、バブル崩壊、就職氷河期、非正規雇用、ブラック企業、身近な人の自殺、自殺未遂、介護、株式投資、アベノミクス、世界18カ国一人旅。
時代の荒波に飲まれ、流され、時には乗りこなしながら何とかここまで生きてきました。
あなたとここで出会ったのも何かの縁。
同じ時代を旅する者同士、しばし足を休めて話を聞いてくれれば幸いです。
過ぎ行く時代の流れは絶えずして、しかもあの日には2度と戻らず。
よどみに浮かぶバブルは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。
時代の芥(あくた)に流される前にうたかたの記録をここに記す。
少年時代
幼少期の私は見た目は大人しいがかなり負けん気の強い性格だった。
おかげで5歳の時、髄膜炎にかかって髄液検査(背骨の隙間に注射針を刺して髄液を取り出す検査)を受けた時も、泣かずにじっと我慢していたので看護婦さんの間で人気者になることができた。
計算高い性格は9歳年上の兄から受け継いだ。
兄は、ケンカのやり方や大人顔負けの交渉術などのライフハックをいろいろ教えてくれた。
兄はとても世話好きだったので、幼稚園の頃からエアガンで遊んだり、当時はまだ珍しいパソコンで遊んだりしてくれた。
そのため同級生との遊びが物足りなく感じ始め、年上の友達ともよく遊んでいた。
人間観察が好きで、特に大人の行動をよく観察していた。
2歳の時、私が家の中で忽然と姿を消し、「行方不明になった!」と母と兄が家中を探し回って大騒ぎになったことがあった。
実はこの時テーブルの下に身を隠してテーブルクロスの隙間から一部始終を観察しており、母と兄が家の中の【どこを探さないか】をじっと観察し、絶対に見つからない【逃げ場所】を発見したりしていた。
大きくなるにつれて知恵が回るようになると、人の扱い方が巧妙になっていった。
ある日暗くなるまで友達と遊んで帰宅すると、父親から「帰りが遅い!」と怒られ、その時うっかり口ごたえしたため外に放り出されたことがあった。
その時「暗くて危ないから明るいうちに帰れと叱りながら、なぜまた暗い外に締め出すのか」とどうしても納得できなかった。
そこで「家を追い出されたと言って今から友達の家に泊まりに行けば親は困ってもうこんなことはしないだろう」と思い、暗い夜道を一人で歩き出した。
玄関の外にいるはずの子供がおらず慌てた母が近所を探し回り、ようやくブスッとした表情で一人黙々と歩く私の姿を発見した。
母は機嫌をとりながらあの手この手で説得したが、私は「友達の家に泊まりに行く」と頑として聞く耳を持たずひたすら歩き続けた。
そして母の弱り切った様子を見てようやく説得に応じ、一緒に家に帰った。
それ以来2度と家から放り出されることはなかった。
とても扱いづらい子供だったが、世間的には優等生で通っていた。
毎晩母が読んでくれる絵本と兄の英語教材のおかげで、幼稚園に通う前から文字を一通り覚えていたため、学校のテストで苦労することはなく、学級委員長を務めるなどしていたのでそれなりに成績表が良かった。
とは言えガリ勉タイプではなく、運動も得意で体育の授業では皆の前で見本を演じたり、運動会のリレーではアンカーに選ばれたり、縄跳びでトリッキーな技をマスターしたり、いつも何か難しい課題に挑戦しては動き回っていた。
負けず嫌いは習い事にも発揮され、エレクトーンの試験を飛び級したり、県の絵画コンクールに入賞したりして各方面で評価される度にプライドが高くなっていった。
普通の友達では飽き足らず、好奇心旺盛な私は転校生や問題児など少し目立っている同級生によく話しかけ、積極的に仲良くなろうとしていた。
小学3年生の時、問題児のFくんと友達になった。
Fくんの父親は医者で裕福な家庭だったが、学校では教師に噛み付いたり、女子生徒に嫌がらせをしたり、本当は勉強ができるのにわざと白紙で答案を提出したりして先生をいつも困らせていた。
友達になろうと思ったきっかけは、ある日Fくんが女子生徒の腕などを舐めるというので先生に怒られていた時、「じゃあ、先生を舐めてみろ!」と言われて笑いながら先生の手の甲をペロッと舐めたのを見て「こんなスゴいヤツがいたのか」と衝撃を受け、それ以来Fくんの独特の世界観に興味を惹かれたからだった。
Fくんは「まさかここまではしないだろう」という柵をあっさりと乗り越え、大人の「本音と建前」の矛盾を突いては動揺する大人を尻目にニヒルに笑う少年だった。
Fくんと刺激に満ちた楽しい日々を送っていたが、ある事件をきっかけに突然幕が閉じられた。
ある日Fくんはプレゼントがあると言って自分の部屋に案内し、「どれがいい?」と1万円札と5千円札と千円札の3枚の紙幣を机の上に並べた。
私は「お金はいらない」と断ったが、「どれか選んで欲しい」と何度も勧めてきた。
Fくんは質問を変えて「じゃあ、どの絵柄が一番好き?」と言ってきたので、新渡戸稲造のゴーグルのようなメガネが急に面白くなってきて5千円札を選んだ。
Fくんはこのことを日記に書いたため、それを読んだ担任の先生は翌日私と母を学校に呼び出して注意をした。
私は生まれて初めて学校の呼び出しを受けたことがとてもショックで、世の中で一番悪いことをしたような罪悪感と恥ずかしさで堪らなかった。
その日はずっしりと重い十字架を背負ったような気分で家路についた。
それ以来私はFくんと距離を置くようになった。
今思えば、Fくんは理解者ができたことが嬉しくて、私にお礼をしたかったのだと思う。
二人きりの時Fくんは自分の生い立ちなどをよく話してくれた。
彼の話を聞くうちに、問題はFくん自身にあるのではなく、問題を起こさせる環境にあるように感じた。
Fくんを通して人には外側ではわからないそれぞれの事情を抱えていることを知り、今まで気にもとめなかった普通の人々が、それぞれのストーリーを持った主人公として色彩を帯びて浮かび上がってくるように感じられた。
しかし順風満帆に見えた少年時代は、突然の転校によって終わりを告げた。
小学4年生に上がる時に別の校区の家に引っ越しをすることになったのだ。
その瞬間、今まで築き上げてきた実績と友達はリセットされ、暗黒時代に突入した。