Re:Birth

Livin' as an ice-age-generation

2.不登校時代

不登校時代

転校先の学校は、田んぼと畑に囲まれた辺鄙な学校だった。
新しい学校になって私服に変わり、集団登校に変わり、通学路が2Kmほどもあったりと以前に比べてまったく変わってしまった様子に「ああ、ついに違う世界に来てしまったんだな」と実感した。

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転校先の先生はうっかりミスの多い先生だった。
転校初日の一番大事な日に先生が遅刻したため、私は紹介のないまま教室に入らざるを得ず、終わりの会でようやく紹介されるという最悪の初日を迎えた。

転校してしばらくの間は、転校生に興味津々の同級生たちに囲まれながら順調に学校生活を送っていた。
しかしある時から隣の席の女の子が誰もいないタイミングを見計らって、ボソッと私に辛辣な言葉を投げかけるようになった。 

彼女はちびまるこちゃんに出てくる野口さんのようなキャラで、嫌味を言ってはニヤニヤ笑っていた。
彼女は私以外の人には普通に接するのだが、私に対してだけ上から目線で嫌味を言ってくるため、だんだんと「自分だけどこかおかしいのだろうか?」と真剣に悩むようになってきた。
今まで周囲からチヤホヤされて育ってきたので、こういう経験はしたことがなく、とてもショックでどう対処していいのかわからなかった。
プライドが高かったので「女の子からイジメられてます」と誰かに相談できるはずもなく、暗い気持ちを抱えたまま学校に通うことがだんだん苦痛になってきた。

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ある朝、その日はどうしても学校に行きたくなくてトイレに閉じこもっていると、ドア越しに父親が怒鳴りつけて無理やり外に引き出されたことがあった。
私は必死に抵抗したが、そのまま玄関の外まで引きずり出され、ふと顔を上げると目の前には集団登校で迎えに来た生徒たちがこちらをじっと見ていた。
皆の前で恥をかかされてプライドをずたずたにされた悔しさで、父親に対する憎悪が激しく燃え上がった。

毎朝いつも学校の準備をして朝食を食べるものの、登校時間が近づくにつれて吐き気がするほど強いプレッシャーに襲われて、どうしても学校に行けない日が続いた。

ある日いつものように朝食を食べていると、突然父親が「もういい加減に学校に行け!」と激怒し、コップを振り上げて投げつけようとしたため、あまりの気迫に「殺される」と思って慌てて2階に駆け上がった。
追いついた父親と2階で揉み合いになり、強烈な張り手を受けて目の前が一瞬暗くなった。
床を見ると赤い血が点々と落ちていた。

「転校する前はキチンと学校に行っていたし、今も学校に行かないといけないのは十分わかっている。行かないのではなく、行けないのだ。

そこをどうして考えようとせず、自分の世間体だけを考えるのか。」

と今まで溜まっていた怒り屈辱、理解されない悔しさなど色んな感情が絵の具を混ぜたようにグチャグチャになった。
そして声も出さずに熱い涙が頬をつたい、燃えるような目で父親をみつけた。

そしてこの日から完全な不登校生活が始まった。

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 毎朝集団登校をする同級生たちの姿を窓からよく眺めていた。
元気に跳ね回る黄色い帽子とガチャガチャと鳴るランドセルの音が遠い世界の出来事のように感じられた。

無人島に一人取り残されて、そこから遠くの船を眺める気分はきっとこんな感じだろうと思われた。 

家では特にやることがなかったのでNHKの教育テレビや朝のワイドショーなどを見て過ごしていたが、ズル休みのような気がして全く楽しくなかった。
自分には世の中の楽しみを享受する資格がないような気がして、すべての物がよそよそしく感じられ、私を非難しているようにさえ感じられた。

すべての物の色彩がなくなり、何を食べても時間が経ったガムのように味気なかった。

次第に留守中に鳴るインターホンや電話の音にビクビクするようになり、なるべく自分の存在消そうとした。

注射器に閉じ込めた気泡に水圧をかけると小さくなるように、

逃げ場のない私は少しの圧力に反応しては小さくなっていた。

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父は必要なものは何でも与えてくれた。
学研や進研ゼミなどの通信講座で一人で勉強を続け、高学年になってからは家庭教師を付けてもらった。
子供の頃から受けていたエレクトーンのレッスンも、高校受験で辞めるまで家で受けさせてもらっていた。

当時流行っていたテレビゲームなどのオモチャもいろいろ買ってくれた。
おかげで学校には行っていないものの、豊富な遊び道具がきっかけとなって近所に住む同級生と遊ぶことができた。
友達と遊んでいる時は普通の子供に戻れたような気持ちがして楽しかったが、その反面学校に行かずに友達と遊んでいることに後ろめたさを感じていた。 

唯一の癒しは、ラブラドール・レトリーバーラブだった。
庭でボール遊びをしたり、ブラシで毛並みを整えたり、一緒に日向ぼっこをしたり、親友のようにいつも寄り添っていた。
イヤなことがあって落ち込んだ時はいつも優しい瞳で私を迎えてくれた。

ラブは私が22歳の時天国に昇っていった。
最期の別れの瞬間、精一杯しっぽを振ってくれた姿は今思い出しても目頭が熱くなる。

年に数回ほど友達に誘われて学校に行くことがあった。
私が再び学校に通えるようにと協力的で親切な同級生もいたが、一方で「友達とは遊べるのに学校に行かないのはズル休みだ」と言う同級生もいた。
それを聞いてとてもショックだったが、自分でも学校に行かないのは悪いことだと思っていたので「やっぱり内心では皆もそう思っているんだ」と落ち込んだ。

何度か学校に行こうと努力したが、やはり不登校児に対するクラスメートからの特別な視線は避けられず、結局最後まで学校の中に自分の居場所を見つけることができなかった。

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 私が不登校になってからの一番の苦しみは、優等生だった頃の【過去の自分】とのギャップだった。

「もし転校しなかったら、勉強もスポーツもできていい学校に通って社会で活躍していただろう」という思いが強く、不登校になってからずっと【過去の自分】が影のようにつきまとい、【今の自分】を否定していた。

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 【過去の自分】の呪縛から逃れるために別の世界で挑戦したいと思い、その時から海外に興味を持つようになった。
大学も東大ではなく、自由な校風と聞いていた京大を目指すようになった。

15歳頃からZ会に切り替えて一人で勉強し、文系理系すべての教科を学習し、CNNやBBCなどの海外メディアを観ては世界に思いを馳せていた。
やがて全国模試で偏差値70台をとるようになり、Z会の京大即応コースで何度か成績優秀者ランキングに載るまでになった。
しかし成績ランキングで自分の名前の下に、有名進学校が並んでいるのを見た時でも、【過去の自分】に負けているような気がして素直に喜べなかった。 

連日の受験勉強によるストレス睡眠不足、さらに近所に引っ越してきた人の騒音が重なり、予備校の夏期講習に通う電車の中でついにパニック障害になってしまい、試験が受けられない状態になってしまった。
センター試験に失敗し、志望校ではない大学に合格したものの、もはや【過去の自分】にはもう追いつけないと悟った。
そして、【過去の自分】に敗北した。 

深い絶望と心のを負い、再び谷底に転がり落ちていった。

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