Re:Birth

Livin' as an ice-age-generation

3.ひきこもり

ひきこもり

しばらく暗い冬眠生活のような日が続いた。
髪は伸び放題で体重も増え、タバコまで吸うようになった。

気の抜けたぬるいビールをすするような後味の悪い気分で目覚め、夜中に活動しては明け方に眠るという毎日を送っていた。

私にとって昼間の光は世間の目だった。
「何者でもない私」にとっては、突き刺すように眩しかった。

そのため夜が一番安らいだ。

真っ赤に熟した夕日がゆっくりと街の中に沈んでいくにつれ、昼間のチリチリとした熱気は地球の裏側に遠のき、ダイヤモンドの星を散りばめた夜のヴェールが優しく世界を包み込む。
暗闇のヴェールをまとった夜の世界は、仮面舞踏会のような「匿名性」で私を外の世界に迎え入れてくれた。

f:id:tayutai0001:20190120064531j:plain 夜の闇に紛れながら散歩すると、この時間だけ普通の人になれたような気がした。
子供の頃は同級生よりできて当たり前と思っていた私が、いつの間にか普通の人憧れ恐怖を抱くようになっていた。

深夜、タバコを吸いながら窓の外を眺めるのが至福の時間だった。
夜空を撫でるようにたゆたうをぼんやりと眺めていると、星の煌めきが漁火のように見え、眠りに落ちた静かな街はまるで海底に沈んでいるように思われた。
海底に眠るタイタニック号のように、私も時空の狭間で静かに眠りたいと思った。

f:id:tayutai0001:20190120065118j:plain 

しかしいつかはタイタニック号であれイカダであれ船出をしなければならない。
22歳になったら仕事をしようと決心した。
それまでにパニック障害を治さないといけないので、しばらく病院に通院することにした。

作業所

 病院の待合室にあるパンフレットを見ていると、精神障害者の作業所のチラシがあった。
作業所とはどういうところか知らなかったが、ひきこもりにも対応しているとのことで一度見学に行ってみることにした。 

作業所は病院から一駅ほど離れた場所にあるアパートの一室だった。
所長は都会的でキビキビした感じの女性だった。

案内されて奥の部屋に行くと、通所者の人たちは動物の革細工を作る作業をしていた。
作業に集中する姿はまるでフェルメールの絵のように穏やかで神聖だった。
全体に広がる平和的で陽だまりのような暖かさに魅了されて、通うことを決めた。

f:id:tayutai0001:20190120065949j:plain作業所という家以外の居場所ができたことで、大きな自信安心感を得ることができた。
外に出る目的ができたことが何よりも嬉しく、これでようやく社会とつながれたような気がした。 

はじめのうちは緊張して人と話せなかったが、スタッフさんの配慮と革細工の作業を通じてコミュニケーションが生まれ、次第に打ち解けて話せるようになった。
映画の話しをしたり、英語を勉強している人と洋書を貸し合ったりして、人との付き合い方を少しずつ学んでいった。

仕事

22歳を迎え、父の会社で働き始めた。

小さな食品工場だったが父が経営していたので人間関係では悩むことなく、マイペースに仕事をすることができた。
仕事をしているという大義名分ができたことで、自信を持って外を歩けるようにもなった。

仕事に慣れた頃、他の会社でも仕事をしてみたいと思い、休みの日に人材派遣の引越し作業、工場、倉庫作業などいろいろな仕事をした。
当時は深刻な就職難から有名大卒の人も派遣で働いていて、生まれた時代の違いだけでこれほど格差があるのか」と驚いた。
薄暗い工場の中、皆無表情で単調な作業を黙々と行い、社員の人たちが高圧的に指示する様子は植民地支配を思わせた。 

大勢の労働者たちが毎朝ぞろぞろと工場に吸い込まれ、夕方ぞろぞろと工場から吐き出される。
工場の中では永遠の昨日を繰り返し、背中を丸めながらコンビニ弁当を貪る。
この巨大な工場は、人を捕獲する【鉄の罠】のようだった。

f:id:tayutai0001:20190124132116j:plain

自殺

いろんな職場には行くもののなかなか友達ができなかった。
自分の過去を聞かれた時にどう答えていいかわからなかったので、雑談するのが怖かったからだ。
たまたま近所にひきこもりの自助会があることを知り、「ここだと友達ができるかも知れない」と思って行ってみることにした。
アパートの一室に入ると想像していたよりも賑やかで、すでに仲の良いグループが出来上がっていて会話に入りづらい状況だった。

何回か通ってみたものの、話し相手といえばスタッフのおばさんだけで参加者とは全然話ができず、毎回肩を落としながら家路についた。
ある時一人でソファに座っていると男性のスタッフから「孤独を愛する人ですね」と言われて腹が立ち、「孤独を愛するんだったらそもそも集まりには来ていません。話したいけど話せないからここで一人で座っているんです。」と反論したらどこかに去っていった。
スタッフの役割がイマイチわからず、これ以上通っても何も成果がないような気がして、次第に足が遠のいた。

それから友達をネットに求めるようになり、掲示板などで友達を募集するようになった。
その時近くに住む女性と知り合い、実際に会うようになった。
彼女は不登校はしていないものの、人と関わるのが苦手で生きづらさを抱えていた。
親との関係も悪く、本音で相談する相手を求めていた。

彼女と会う回数が増えるごとに関係を深め、付き合うようになった。
生まれて初めて彼女ができたことで毎日の生活が楽しくなり、行動範囲が一気に広がっていった。
今まで一人では行けなかったレストランや映画館などに行けるようになり、さらに遠出をするために車の免許も取得した。
4年間ほど付き合い結婚も考えていたが、彼女の自殺という形で幕は閉じられた。

完璧主義者の彼女は就職活動がうまくいかずに思い詰めていて、精神的に限界だった。
さらに追い討ちをかけるように親からのプレッシャーがあり、自分を責めてついに自らのを絶ったのだった。

f:id:tayutai0001:20190124094124j:plain

自殺未遂はそれまでに何度かあり、そのたびに私は夜中に車を走らせて駆けつけていたが、今回は仕事中ということもあって防げなかった。
夕方彼女から送られてきた最後のメールには、「今までありがとう。さようなら。」というメッセージとともに一枚の画像が添付されていた。
その画像には「ぶら下がり健康機」が写っており、棒の真ん中には輪っかのついたロープが垂れ下がっていた。 

彼女にもう二度と会えない悲しみ「助けられずに見殺しにしてしまった」という罪悪感にさいなまれ、身体が引きちぎられるように辛かった。

f:id:tayutai0001:20190122084535j:plain

「なぜ彼女だけが死んで、自分のような人間が生き残っているのか。」と自分の存在を否定するようになり、消えてしまいたいとよく思うようになった。 

思い出の場所に行くとそこに彼女がたたずんでいるような気がした。
女性の後ろ姿を見てはあれは彼女ではないかと思うこともあった。
そして思い出のかけらを一つ一つ拾い上げては、彼女のをもう一度自分の心の中に作り上げていった。
心の中でいつでも会えるように。

さらに追い討ちをかけるように、父の会社が倒産した。
恋人と仕事を同時に失い、生きる希望が見えなくなってしまった。
絶望の淵にいた時、親身になって話を聞いてくれたのが作業所の所長さんだった。
所長さんの人生経験の豊富さ、知識の広さ、そして何よりも愛情の深さに感銘を受け、「自分も福祉の仕事をしたい」と思った。

身近な人の死を経験したことで、【人はどのようにして人生の最後を迎えるのか】を知りたくなり介護の仕事をしようと思った。
そして彼女を最後の最後に孤独で辛い思いをさせてしまったという悔しさから、介護の仕事では「人に孤独を感じさせることなく最後まで寄り添ってあげようと思った。
それが彼女に対するせめてもの償いのように思えた。
無資格なので採用されるか不安だったが、幸いにも有料老人ホームに就職することができた。

ようやく雲間からが差し込まれた。

f:id:tayutai0001:20190122112319j:plain

 

tayutai0001.hatenadiary.jp