Re:Birth

Livin' as an ice-age-generation

10.長い旅を終えて

長い旅を終えて

 昨年のヨーロッパに続いて北米、東南アジア、インド、トルコ北半球を一周し、日本国内も行きたいところはすべて行くことができ、欲しいものも一通り手に入れた。
これで私の夢はすべて叶えることができた。

小説や映画であれば、ハッピーエンドで話は終わるだろう。
しかし現実」は死ぬまで続く。

自分史はまだ半分近くも白紙のまま残されている。

「夢をすべて叶えた今、これからどう生きればいいのだろう?
他人の人生を生きるのか?それとも、自分だけの人生を生きるのか?」

ここまで来れば納得できるまで考えてみようと思い、図書館にこもって本の森を渉猟した。

f:id:tayutai0001:20190124134319j:plain

本は「人」の結晶体だ。

本棚にずらりと並んだ人生の数々が、誰かに語るのを静かに待っている。

ページをめくるたび私に雄弁に語りかけ、

時間と空間を超えてたくさんの人たちと対話した。

いろいろな本を読みながら改めて自分の人生を振り返ってみると、私は日本の社会問題を一通り経験していることに気がついた。

バブル時代の少年期、不登校、受験戦争、ひきこもり・ニートバブル崩壊就職氷河期、非正規雇用ブラック企業…。

さらに今後は、親と自分自身の介護、年金問題社会保障問題、格差問題、移民問題など過酷な試練が約束されている。

 実は、過去にも私たちのような時代の移り変わりによる犠牲者がいて、食糧難による人口調整を目的としたハワイ・カリフォルニア州中南米への移民政策、敗戦引き上げ時に敵兵の囮(おとり)として満州に置き去りにされた中国残留孤児などの例がある。

ただ従来の問題と大きく異なる点は、政治的な問題を「自己責任論」によって【個人の責任】にすり替えられたことだ。

f:id:tayutai0001:20190121173938j:plain
新卒の採用枠を砂時計のように狭めたことで正規雇用労働者が増え、その結果貧困率と未婚率が上昇して少子化が促進され、さらに人口減少を理由に外国人労働者を増やしてさらに圧力をかけられている。

これを例えて言うならば、氷河期世代一生「上がり」のないババ抜きをさせられているようなものだ。
チャンスは最初にカードが配られた時(新卒カード)の一回キリで、あとはゲームが進むほどジョーカー(ブラック企業)が増える。
ジョーカーを引けば引くほど「上がり」が難しくなっていく(転職歴の増加)。
そしてカードを引くのを辞めた状態が「ひきこもり」だ。
そういう意味で「ひきこもり」は氷河期世代の象徴的な存在だと思う。

こうした犠牲によって終身雇用制度を守りきった人たちは今は年金に関心を奪われ、最近では大学新卒者の就職率が98%まで上昇しているにも関わらず、氷河期世代は依然苦しいままであり、家庭を築けても今度は「子供の貧困」という課題に直面している。 

つまり氷河期世代は、
【戦後日本の矛盾を背負わされた世代】と言える。

f:id:tayutai0001:20190121162537j:plain

子供たちは親も国も選べない。
だからこそ【子供たちが幸せになれる社会】を用意する責任が大人にはあると思う。

戦後のある時期から【次の世代に対する責任感】が希薄になったように思う。

今の日本に決定的に欠けている点がこの【責任感】であり、私が海外に行くたびに感じる違和感はすべてこの点に集約されるように思う。

しかし「戦争を知る親たち」までは【次の世代に対する責任感】をしっかり意識されていたと思う。
特に大正生まれの方々の多くは戦争で命を落とされ、敗戦後は日本の復興に主力となって尽力された。

戦争というの遺産を子供たちに引き継がせずに自分の代で精算しようとしたからこそ、戦後わずか20年ほどで世界第2位の経済大国になるという「奇跡の復興」が実現できたのではないだろうか。 

f:id:tayutai0001:20190121155013j:plain

「奇跡の復興」「失われた20年」は同じ20年間であるが、その結果の示す意味は単に経済的な意味だけではないと思う。
プラザ合意後瞬く間に外国資本家に乗っ取られ、気がつけば「先祖の遺産」「子供の未来」を奪われ、長年受け継がれてきた日本人の知恵と文化が衰退し、そして今や自殺大国という【精神的な焼け野原】に立たされている。

f:id:tayutai0001:20190121174515j:plainこれからの時代をどう生きるべきか?

人間は100年足らずの命しかないことを考えると、一人の人間でできることは限られている。
そのため、自分が生きている時代の中で【次世代に継承するに価するもの】を見つけ出し、それを形にしていくことが【今の時代を生きる意味】ではないだろうか。

「あなたは次の世代に何を残しましたか?」

と問われて胸を張って答えられるように生きたい。

そう考えれば、常に時代に翻弄されてきた「失われた世代」ゆえに【戦後の日本が失ったもの】の大切さを実感できる立場として、次の世代に何かを残す役割があるように思う。

帰国するといつも「日本人の元気のなさ」が目立つ。
終わることのないレースを延々と走らされて、皆疲れ切っているように見える。

f:id:tayutai0001:20190121173812j:plain

ヨーロッパで感じたような心にゆとりのある生活は日本ではできないのだろうか。

いや、そんなはずはない。

ただ、日本はお金重視の「経済成長」を追求する発展途上国マインド】から脱却しておらず、QOL(生活の質)重視の「人間成長」を追求する【先進国マインド】にシフトするタイミングを逃してしまったのだと思う。

他者を出し抜いて、自分だけが得をする「奪って得る」考え方自分一人しか得をしないが、他者を尊重して自分も得をする「与えて得る」考え方相手と自分の2倍得をする

奪うよりも、与える余裕があってこその豊かさだと思う。

今の日本において、社会的な居場所を奪われた「ひきこもり」という現象は起こるべくして起きた社会現象のように思う。

生命活動を強制終了するのが「自殺」ならば、

社会活動を強制終了するのが「ひきこもり」だ。 

 「ひきこもり」までいかなくても少し歩みを止めて、

【自分の生き方】についてじっくり考えたい人は多いのではないだろうか。

f:id:tayutai0001:20190121181318g:plain

人は誰しも高いエネルギーを内に秘めていて、それを昇華する手段を求めていると思う。
エネルギーを昇華できる人はイキイキと生活し、昇華できない人はストレスを感じて様々な問題として発現する。

それゆえエネルギーを昇華する手段としての【仕事】は人生の質を大きく左右する。

ヒポクラテス「健康になる条件」として「仕事を与える」ことを第一条項として掲げていたことは、とても意義深い。

他者に必要とされ認められ、自分の存在価値を高める【仕事】は、【生きる喜び】につながっていくのだと思う。

ライフスタイルの多様化とともに、仕事の多様化も進めばもっと生きやすくなるのではないだろうか。
仕事が多様に生まれれば、それだけ多様な商品やサービスが生まれ、自分を含めた社会全体の利益にもなると思う。

 「次の世代に何が残せるか?」

 どの時代もその時代特有の問題を抱えているが、人類は新しい問題に直面し、新しい発見をし、新しい方法を生み出して進歩してきた。
そういう意味で、社会問題の中にはすでに新時代の種が含まれていると思う。

その種を見つけ出し、発芽させ育てていくことがこの時代を生きる私たちに与えられた役割だと思う。

f:id:tayutai0001:20190121183736j:plain

自分の世界観を変えれば世界の見方が変わる。
誰かの世界観を変えれば世界の見方が変わる。
これを繰り返していけば世界そのものが変わる

改めて自分の半生を振り返ってみると良いことも悪いこともいろいろあったが、そのすべての経験今の自分を構成する必要なピースになっている。

旅で出会った人たち、仕事仲間、幼なじみの友達、学校の先生、転校先の女の子…、

すべての人に感謝している。

そして特別な愛情でここまで見守ってくれたには心から感謝している。

経験という(すき)で心のを耕しながら感謝のをまき、そこから得られた果実を皆で楽しめたら最高の恩返しになるだろう。

f:id:tayutai0001:20190121160847j:plain
どんなに分厚い雲に覆われていても、その上には太陽が燦然と輝いている。

どんなに厳しい時代でも、私は輝き続ける太陽になりたい。

そしてあまねくを照らし、暗い闇の底までを差し込みたい。

かつての私のように、

社会のどん底で苦しんでいる人たちに光を届けたい。

f:id:tayutai0001:20190121161400j:plain
人は誰しも遺伝子の船に乗って時間を旅する旅人だ。

旅は道連れ、世は情け。

一緒に人生の旅を楽しめたらこれほど楽しいことはない。

 

最後に、私が好きなネイティヴ・アメリカンの言葉で締めくくりたいと思う。

 

あなたが生まれたとき、あなたは泣いて、周りの人は笑っていたでしょう。

だからあなたが死ぬ時は、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい。

f:id:tayutai0001:20190121182755j:plain