Re:Birth

Livin' as an ice-age-generation

4.社会復帰

介護のしごと

介護の仕事は初めての経験ばかりで戸惑うことが多かったが、良い先輩に恵まれて順調に仕事を覚えていった。
有料老人ホームは比較的裕福な方が多く、元キャリア官僚、元大企業役員、作家などいろいろな人がいて人間関係の相関図は毛細血管のように複雑に入り組んでいた。

しかし「どんな三角形でも内角の和は同じ」であるのと同様に、人間はで生まれてで死ぬ以上、その間もであることには変わりがない。
世俗の地位を離れた時、その人の人間性生き様赤裸々に現れるように感じた。

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いつも嫌味を口にする人は人からわれて孤立し、
いつも感謝を口にする人は人からされていた。

つまり、

自分中心に振る舞えば自分しかいなくなり、のために振る舞えばが集まる。

とてもシンプルだ。 

老人ホームは人生を終わりからさかのぼって考えることができ、生き方を学ぶには最高の学校だった。
授業料を払わずに逆にお金をもらって学べるのはとても幸運だと思いながら、その恩返しの気持ちと人生の先輩としての敬意を込めて仕事をした。

ある朝、初めて人が死ぬところを目の前で見た。
私は車椅子に座って食事をとる入居者さんを見守りながら、食堂のカウンターで洗い物をしていた。
彼女はいつものようにゆっくりと食事をとっていたが、突然スプーンが落ちる硬い音が響いたかと思うと、カッ!と目を見開いて全身が繊毛のように震え、トロんと白眼をむきながらゆっくりと天井を見上げるようにして頭が後ろに倒れていった。
その様子はまるで魂が身体を抜けて煙のようにすうっ…と天に伸びていくようだった。

その後も何人かの死を見送った。
最後まで「死にたくないと」苦しみながら亡くなる人、普通に生活していたのに突然亡くなる人、眠るように静かに亡くなる人…。
人の死を見送るたびに、生きる意味について考えさせられた。

もし明日死ぬと知らされたらをするだろう?
後悔なく最後を迎えられるだろうか? 

自分が本当にやりたいことは何だろうかと考えるようになった。
不登校になってから特に何かを目指していたわけではなく、ただ【過去の自分】に負けないためにずっと勉強をしてきた。
しかし【過去の自分】など実際には存在しないので当然勝てるはずもなく、ゴールのないレースをただひたすら必死に走ってきただけだった。
そしていろんな障害をくぐり抜けて、いま介護という素晴らしい仕事に巡り会えた。
しかし人生設計を考えた時、今の給料では自分一人を養うことしかできない。
せっかく英語を勉強したのだからそれを活かす道もあるのではないか。 

そこで英語力を求める法人営業の面接にダメ元で受けてみると、TOEICの点数が評価されてなんと採用された。
その会社は、原料を海外から安く仕入れて国内メーカーに発泡スチロールを製造させ、それを主に漁業関係者に販売する専門商社だった。
海外の取引先の社長が新しく変わって英語しか対応できなくなり、急遽英語ができる人材を募集したとのことだった。 

翌日、事情を上司に伝えると背中を押して応援してくれ、理事長も「この業界に戻ってきたらいつでも帰っておいで。」と暖かく送り出してくれた。
出勤最後の日に入居者さんに挨拶すると、こんな自分のために涙を流してくれて、短い間だったが「今までここで頑張ってきたことは無駄ではなかったのだ」と感激して私も涙がこぼれた。

転職

新しい仕事では、英語を使った仕事といえば取引先の資料を翻訳するぐらいで、実際には法人営業が中心だった。

端的に言うと、海外の安い原料を武器に大手国内メーカーが牛耳る国内市場を切り崩していくのが仕事で、製造メーカーにはなるべく安いコストで製品を作らせ、販売先である漁業関係者にはなるべく高く売るブローカーだ。
そのため情報交換と親密度を高めるために接待を頻繁に行っていた。
私は上司に付いて日本全国を飛び回り、各地で接待漬けの日々だった。
高級なお店で美味しい物をたくさん食べられるので周囲から羨ましがられたが、仕事についていくのに必死であまり食べた気がしなかった。 

漁業関係者は朝が非常に早いので、出張先で夜遅くまで接待を受けた後、数時間ほど寝て市場に向かわなければならず寝不足の日が続いた。
主に車で移動していたのだが、上司から「取引先のルートは一回で覚えろ。」と言われていたので、慣れない都会の運転に神経をすり減らしながら必死で道を覚えた。

上司は場を盛り上げるのが上手く、相手の懐に入り込むのが非常に巧みだった。
上司からは「お前はもっと遊びを覚えろ。」と言われていたが、とてもサーフィンやバイクを覚えるような余裕はなかった。
この体育会系のノリが苦痛で仕方なかったが、「とにかく早く慣れるしかない」と思い、周りに調子を合わせようと必死に頑張った。 

毎日めまぐるしく変化する環境睡眠不足、仕事を早く覚えないといけないプレッシャーから次第に精神的に苦しくなり、会社に行くのが憂鬱になりはじめた。
でも「もし途中で辞めたら不登校時代に逆戻りになってしまう。」という恐怖心から何とか休まずに出勤していたが、私のしんどそうな様子を見て親も心配するようになった。
「ここでまた体調を崩してしまったら元も子もないよ。」と周りからも説得され、とりあえず試用期間まで勤めることにした。
酸素ボンベの残量が少ないままダイビングを続けるような緊張感で何とか試用期間を終え、会社を辞めた。
最後の挨拶を終えて会社を出ると雨が降っていた。
傘を持っていなかった私は、捨てられた犬のように冷たい雨に打たれながら駅まで歩いた。
とても惨めな気分だった。 

「たった3ヶ月前なのに施設の日々が遠い昔に思える。
やっぱり自分には福祉の仕事が向いているんだ。
本当に軽率なことをしてしまった。
今さらこんな形で施設に戻ることなんてできない。
自分は一体何をやってるんだ…。」 

帰りの電車に揺れながらぼんやりと外の景色を眺めていた。
電車は巨大な振り子のように、都会から田舎に揺り戻されていく。 

電車のスピードが加速するにつれて景色は「線」になった。
しかし私という存在は「点」のままどこにもつながれずにいた。

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