5.自殺
自殺未遂
次の仕事を決めずに辞めてしまったものの、しばらくの間は何もしたくなかった。
布団に入ったままじっとしていると、部屋の窓から食器を洗う音や井戸端会議の笑い声など生活の音が聞こえてきた。
それを聞いていると、自分だけ世の中から取り残されたような気がした。
鉛色のどんよりとした冬空がそのまま胸に流し込まれたように憂鬱で重苦しい気分だった。
木目が渦潮のように蠢(うごめ)く天井をぼんやり眺めていると、亡くなった彼女のことが思い出された。
「就職活動で苦しんでいた彼女もこんな気持ちだったのだろうか。
私は就職活動をせずに父の会社に入ったので、十分に彼女の気持ちをわかってあげられなかった。
一人でずっと戦って辛かったろう。
今私が同じような思いをしているのは、彼女を見殺しにした罰だ。」
彼女が死に至るまでの気持ちを考えているうちに、自殺サイトを見るようになった。
不思議なことに自殺サイトを見ている間は気持ちが安らいだ。
いつでも死ねるという安心感が、調整弁の役割を担っていたのかもしれない。
知らず知らずのうちに絶望の量に比例して自殺の知識が増えていった。
そして白い灰のような雪が舞い落ちる冷たい朝、自室のメタルラックにネクタイを巻きつけて首吊り自殺を図った。
ネクタイを首にかけて一気に体重をかければ、もう二度とこの世に帰ってこれないと思うと、底なし井戸を覗いたような恐怖を感じた。
何度か躊躇しながらも段々とコツを覚え、意識が飛ぶポイントを探り当てた。
そして、決行。
目が覚めると、父の顔があった。
私の顔を覗き込んで頬を叩きながら、何かを叫んでいた。
「どうやら失敗したようだ。」
意識消失後激しい痙攣によってラックが倒れて本が散乱していた。
しばらく身体や唇が痺れて思うように動かず、頭もぼんやりしていた。
命が助かった安心感よりも、死に切れなかったことに絶望した。
今度は確実に死のうと思い、ラックが倒れないように工夫し、家族が出払った後再度自殺を試みた。
しかしどういうわけか前回と同じようにラックが倒れ、意識を取り戻すと散乱した本の中に埋もれて横たわっており、揺れるカーテンの隙間からこぼれる光をただぼんやりと眺めていた。
帰宅した母親が部屋に入ってきて事の事態を察し、特に取り乱した様子もなく私の身体を心配してくれた。
翌朝目が覚めると、枕元に一枚の手紙が置いてあった。
「今まで慣れない仕事を本当によく頑張ったね。
疲れた体と心をゆっくり休ませて下さいね。
あなたには父や母、兄もいるのですよ。
家族みんなで助け合って一歩一歩前へ進んで行こうよ。
又、いい時も必ず来るからね。
昨晩言った『お母さん、今までありがとう』という言葉は正直寂しかったよ。
この言葉はお母さんが人生を終える時に言って欲しいな。
決して死ぬ事は考えないで。お母さんの大切な息子だからね。
毎日家族で顔を合わせられるのが何よりの幸せだから。
お母さんの心の中はそれでいっぱい。
それがお母さんの幸せだから。
心が苦しかったら人に話す事が大事。
お母さんなかなか気が利いたこと出来ないし言えないけど、誰よりもあなたの事思っているからね。
これから先、無理せず自分を大切に!ね!
母より」
手紙を読みながら涙が止まらなかった。
母の手紙を読んで、今まで自分一人だけで頑張っている気になっていた自分を深く反省した。
今の自分はいろんな人の支えで成り立っていることに初めて気がついた。
私は【過去の自分】にとらわれて自縄自縛になり、周りが何も見えていなかった。
一体自分は何に対して無理をしていたのだろうか。
カッコ悪くたっていいじゃないか。情けなくたっていいじゃないか。
今の自分をごまかさずにそのままの姿を受け入れることこそが、本当に芯の強い人間ではないか。
変なプライドやこだわりを捨てて、素直な気持ちで生きていこう。
そして、いろんな人の支えでこれまで生きてきた今の自分をもっと愛そう。
あの時の自殺は失敗ではなかった。
【過去の自分】が首を吊って死んだのだ。
そして生き残った私は、
命の炎が燃え尽きるまで全力で生き抜くのだ。
人生をプロセスと考えれば、
失敗は成功に至るプロセスであり、成功もまた次の失敗を生むプロセスに過ぎない。
完全を越えた不完全を繰り返していくことで、ドミノ倒しのように自分の可能性をより大きく広げていくのだと思う。
つまり、
自分というものを無限に追求するプロセスそのものが、生きるということではないだろうか。
今回の失敗のおかげで自分に向いている仕事がよくわかった。
私にとって最もやりがいのある仕事は、人の喜びに貢献する仕事だ。
しかし介護の仕事では収入面に不安がある。
どうすればいいかと色々調べた結果、まとまったお金を得るためには投資しかないことがわかった。
そこで「お金は投資で稼いで、好きな仕事をしよう」と思い、株式投資の勉強を始め、再び介護の仕事に戻っていった。